寺 院 紹 介 

別 記 保 福 院 紹 介

懿徳山 保福院 

別 記 寺院紹介




、臨済宗円覚寺派、国清寺末(幻住派)

幻住派とは

入元して杭州天目山幻住庵の中峰明本の法系を嗣いで帰朝した禅僧たちの総称である。

創建、文明元年(1469年)3月15日

本尊薬師如来

奉り尊像

保福院開運講社(ほふくいんかいうんこうしゃ)

馬頭観世音(ばとうかんぜおん)

馬頭観世音にすがり、苦難を取り除き功徳を施して頂く。


保福院 苦楽止身不動尊(ほふくいん くらやみふどうそん)

功徳により 苦が止み、楽な身になる

過去の失敗による、現在の苦しみを断ち切り、

新たな人生をやり直す時に願いをかけます。


誓いの証として、


自分の幸福と寿命を不動尊に預ける

誓いを守り努力すれば、

その者を守護する、

その者は安心を得、寿命は延び

、人の幸福まで自分にもらう事が出来ると言う。


閻魔大王の化身(えんまだいおうのけしん)

保福地蔵尊(ほふくじぞうそん)

功徳はえんま大王が悪人から奪いさった。

幸福と寿命を、(日々信心努力すれば)

わけあたえてくれるとの事、

与えたものは、与えられ

奪ったものは奪われる

仏に日々の幸福を願い仏法の教えを守り、

その結果、福を保ち平穏な日々が続くとの事。

悪い行いをすると地蔵菩薩が閻魔大王となり、

幸福と寿命を奪いさり、

人に与えた苦しみを(悔い改めるまで)身をもって受けることとなるとの事。
 




◎沿革

当院は文明元年3月15日、海印朱公座原禅師の開山である。

初め梅原氏の邸内に建立されていたが災害の為、字中島に移された。

寛文11年12月23日、大洪水の為、堂宇ことごとく流失した。

文化元年12月23日仁峰和尚の時、八幡字町屋に再建。

その後幾多の変遷を経て昭和33年9月26日

この地方を襲った狩野川台風による大洪水の為、

墓地、堂宇、庫裏等跡形もなく流失してしまった。

資料 ●水害の歴史


昭和37年深沢龍宗和尚の時、

現在地、八幡字法華堂371−3番地に再建、

本堂は日蓮宗熱海大乗寺様の好意により、

浄土宗、誓欣院、檀徒、谷口丑五郎氏により寄贈、旧本堂移築。

庫裏は、旧東電社宅を移築。



本堂前の額(醫徳山、山門と保福禅院、本堂)は

曹洞宗、最勝院、(最勝院)48世、大器玄道大和尚の書である。



境内堂宇 本堂五十、五坪。



庫裏三十六坪。



山門一坪。




檀徒数五十戸前後。







◎付記


古記録によると、


当院開山海印座原禅師、長享元年(1487年)3月8日寂。

禅師は相模国鎌倉山ノ内村町屋、鎌田氏の男なり。

又開基は梅原六左衛門尉とあり、文明元年(1469年)7月6日寂。

保福院殿嗣法浄蓮大居士となっている。


古文書に以下の記載あり

(綾織り観音売尊)

当時財壊付寛政三寅年致住職後其客殿建立位依其功自溝口文圭様

浅草観世音百躰売尊也 

文化九申年(1812年)七月十八日被下寄附焉 伝法沙門仁峰代 

世話人飯田市左衛門 文化九壬申年

 安性院殿徳順文圭大居士

 







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